音楽が足りないのかもしれない。

たまに、どうでもいい文章というものを書きたくなるものですね。
完全に自分にだけ向けた、心の中を整理するだけの文章を。

この季節になると、むしょうに京都に行きたくなります。
ちょっと前までは「帰る」だったのに
もう3年半以上も東京で暮らしているので
だんだんと、京都が「帰る」場所じゃなくなってきてしまいました。
もう、すっぽりと体が埋まる居場所がないのです。

それでも、日常生活の中に自然と聞こえてくる祇園祭の音や
次の日の心配なんて全然しないで缶ビール片手に歩く夜が
とてもとても愛おしいものに思えてきて
なんだか普段しまっている心の一部がぎゅっとなんてしまうんです。

とかいいながら、3日後にはSCRAPフェスで京都に行くのですが。
なにかが違うのでしょう。きっと。
そして、あの頃と同じ行動をしても、私の心の一部はぎゅっとならないんでしょう。

ボロボロで、缶ビールがあれば何時間でもしゃべれて
次の日寝坊しても全然大丈夫で、いつもどこかに不安と悲しみを抱えていて
でも、近しい顔の人の音楽がすぐそばで聞こえていて
そんな夜ではもう満足できないことを、私は知っています。

何か、もっと何か、人に誇れるものを見つけないといけない。
心の底から、熱狂できる空間を、自分でつくりださなければいけない。
わたわたと慌てて、仕事をこなすだけの生活じゃいけない。
そもそも、ものづくりの仕事を、こなしてはいけない。

眠らない1週間が体力的に続けられないことを知ってしまった。
軽い気持ちで友達を呼び出すことができなくなってしまった。
くだらない面白いことを考えるだけでなく
ちゃんと収益があがるかどうかを考えないといけなくなってしまった。
そして、その方が、ずっとずっと面白いと知ってしまった。

このもやもやは、ふりかえるとやっぱり自分に向けられたもの。
贅沢な環境にいられることを感謝して
誰にも負けない努力をしていこうじゃないの。

あ、でも音楽にはもっと触れたいな。
イベントでも、なんでもいい。
勢いづける音楽がいま足りていないのかもしれない。


うーん、しまりのない文章だけど
金曜日の夏の夜に免じて、ゆるしてください。