ひふみよ

ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ。

この数え方を聞いたのは何年ぶりか。
小さな頃、お風呂の中で数えていた。
でも、この続きがわからなくって、結局最後まで
このわらべうたは完成することがなかった。


小沢健二をいちばん聞いていたのは
小学校五年生くらいのとき。
おかあさんがテレビの音楽番組を見ながら

「さおり、小沢くんみたいな人と結婚しなさいな」

と言ったので、私は画面に目をやった。
そこには、言葉を魔法のようにメロディにのせて
ギターをしゃかしゃか鳴らすお兄さんがいて
その、言葉のリズムの美しさをしばらく忘れられずに
ずっと歌詞を想像して、口ずさんでいた。

それから、家にあったテープをあさっては
何度も巻き戻して聞いた。
その頃は「痛快ウキウキ通り」がいちばん好きで
お母さんが持っているプラダの靴がうらやましくて
こっそり足をいれてみたりしていた。

自力でCDを買いにいくこともできなければ
インターネットで歌詞を調べることもできない
田舎の田舎の小学生にだったので
歌詞を想像してはノートに書いて、音楽番組は必死で録画していた。

「球体を奏でる音楽」を買ってもらったときは嬉しくって
「大人になれば」をピアノで練習していた。

10歳そこそこの何も知らない私は
小沢健二川本真琴になりたかった。
Tシャツにジーパンで、アコースティックギターをかき鳴らして
ささいな日常をシンプルに美しい言葉で歌い上げる姿に
細身ながらあふれるパワーに、憧れていた。

そこから、色んなものをごまかして、そして新しく受け入れて
いまの自分がつくられている。
中学校、高校のころは、もっと友達と話が通じる音楽を聞いていたように思う。
そして大学生になって、SCRAP(当時は音楽フリーペーパーだった)で
音楽に関わり始め、最初にみんなで行ったカラオケで加藤さんが
「流星ビバップ」を歌ったときには、私は小学生に戻ったみたいにはしゃいだ。

そこから、また夢中で色んな音楽を聞き始めた。
小沢健二の曲は、itunesに入れ直した。巻き戻しをしなくても聞けた。
音楽はぐっと身近に、だけど物凄く遠い存在になっていた。
わたしはもう、2人に憧れることはできないから。

そして、わたしは自分の表現する方法を見つけた。
いちばん最初、広告の道を志したときは「カローラⅡにのって」みたいな
CMをつくってみたいと思っていた。
そういえば、佐藤雅彦さんも好きだった。


そして今日


小沢健二が真っ暗闇で「流星ビバップ」を歌いだした。
私は小学生にしゅるしゅると戻った。
ほんとうに夢のような時間で
10歳の私と、25歳の私が
同じ歌詞を、違うように感じて
でもからだは同じように揺れていた。

メッセージ性の強いライブだった。
まだそのメッセージがすとんと自分の中に落ちずに
胸のあたりを行ったり来たりしている。

彼は何を伝えたかったんだろう。そんなことを考えても
救われるのは自分だけだとわかっている。
深い意味はないのかもしれない。
けれど、頭は考えずにはいられない。

ただ、あの頃の「憧れ」そのままに歌う姿に
大きなパワーをもらって。

さいご、泣き声で「岡崎京子がきています」と小沢健二が言った。

声をあげるのは
岡崎京子のまんがに出てくる女の子みたいになりたかった女の子。
岡崎京子のまんがに出てくるみたいな男の子。

ライブがおわった会場は、解き放たれた感じではなかった。
みんな、それぞれの想いをぽつりぽつりとつぶやきながら、赤い階段を降りて行った。


もう二度と読み返したくないような
支離滅裂な文章だと思います。
めずらしくひとりハイボールを飲んでいます。
でも、今日のこの気分を、なんとなく書き記したかったんです。
今日の自分のために。


素晴らしい時間を
長い長い時間を
どうもありがとう。