むずかしく考えなくていいんじゃないか。

しまった!と思ったらすぐに謝る。
やりたい!と思ったらいちかばちか言ってみる。
うれしい!と思ったら口に出す。
かなしい!と思ったら、人間なんだもの色々あるさと言ってみる。

そんなリズムがうまくいく時は
何でも軽々とこなしてしまえる気分です。
実際はなかなかできないから、ちまちま悩んだり
むずかしく考えたりするんだけどね。

そんなことを、ちらっと、書いておきたくなったのです。

ものをつくる、という行為の先に喜ばせたい人がいるのはなんと幸せなことか。

もう6年になりますか。
私の人生にとって大切で大切でならないSCRAPから
きのう、夫婦が誕生しました。

「結婚なんかするもんか」と言っていた人と
「可愛いお嫁さんになるのが夢」と言っていた人
並んでみると、ぴったり似合って
こちらがほころんでしまうような、素敵な夫婦に見えました。

私たちは、2人にお祝いの気持ちを伝えたいと
Wedding SCRAP なるものを作りました。
元スタッフが集結して、大好きな2人のためにものをつくれること
なんて幸せなんだ!と思いながら。

渡したとたん、花嫁は泣き出し
花婿は「こんな嬉しいプレゼントは生まれてはじめて。
世界一優しいフリーペーパーや。すごいな」と言って

それを聞いて、私も司会席でじんわり。
いやいやあんたらの今まで生きてきた功績が
編集されただけだよと。

みんなの「おめでとう」が集まると
すごいパワーになるんだなぁ。
そして「おめでとう」と言われるまでに愛された人達は
やっぱりすごいと思うのです。



「結婚」ってすごいなと思いました。
生きている証を、感謝のきもちを、愛するきもちを
ちゃんとみんなと分かち合って
さらに前を向いて行く場なんだなと。

自分はまだまだ未熟者だと思っていたから
全然結婚のイメージがわきませんでした。
酔っぱらってすぐ寝たり、ちょっとのことでむすっとしたり
電気代払い忘れたり、すぐくよくよしたり。

「結婚」って、ちゃんと自分の足で立つことができてはじめて
考えられるようになるのかと思っていました。

けれど、2人を見ていて、それは違うのかもなと考えました。
足りない部分は頼ったり
ダメな部分は怒ったり
それでも思いやりを持って人に接することができれば
いいのかもしれない、と。



「昨日作った曲です」と照れながらでも力強く
真っ直ぐ歌いきった花婿の歌はとっても素敵で
それを見る花嫁の後ろ姿はとっても女らしかった。

祝うために集まった人達と朝まで飲んだお酒は
すごく優しくて、心地よい時間でした。




音楽は、大好きな人に気持ちを伝えるためにあるのかもしれない。
言葉は、大好きな人に気持ちを伝えるためにあるのかもしれない。
ものをつくる、という行為の先に喜ばせたい人がいるのはなんと幸せなことか。
そんなことをしきりに感じた夜でした。



2人とも、本当におめでとう。
そして、SCRAPメンバーにありがとう。
おばあちゃんになっても皆で木屋町ふらふらできるように
楽しく生きて行きたいなーと思います。

ひふみよ

ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ。

この数え方を聞いたのは何年ぶりか。
小さな頃、お風呂の中で数えていた。
でも、この続きがわからなくって、結局最後まで
このわらべうたは完成することがなかった。


小沢健二をいちばん聞いていたのは
小学校五年生くらいのとき。
おかあさんがテレビの音楽番組を見ながら

「さおり、小沢くんみたいな人と結婚しなさいな」

と言ったので、私は画面に目をやった。
そこには、言葉を魔法のようにメロディにのせて
ギターをしゃかしゃか鳴らすお兄さんがいて
その、言葉のリズムの美しさをしばらく忘れられずに
ずっと歌詞を想像して、口ずさんでいた。

それから、家にあったテープをあさっては
何度も巻き戻して聞いた。
その頃は「痛快ウキウキ通り」がいちばん好きで
お母さんが持っているプラダの靴がうらやましくて
こっそり足をいれてみたりしていた。

自力でCDを買いにいくこともできなければ
インターネットで歌詞を調べることもできない
田舎の田舎の小学生にだったので
歌詞を想像してはノートに書いて、音楽番組は必死で録画していた。

「球体を奏でる音楽」を買ってもらったときは嬉しくって
「大人になれば」をピアノで練習していた。

10歳そこそこの何も知らない私は
小沢健二川本真琴になりたかった。
Tシャツにジーパンで、アコースティックギターをかき鳴らして
ささいな日常をシンプルに美しい言葉で歌い上げる姿に
細身ながらあふれるパワーに、憧れていた。

そこから、色んなものをごまかして、そして新しく受け入れて
いまの自分がつくられている。
中学校、高校のころは、もっと友達と話が通じる音楽を聞いていたように思う。
そして大学生になって、SCRAP(当時は音楽フリーペーパーだった)で
音楽に関わり始め、最初にみんなで行ったカラオケで加藤さんが
「流星ビバップ」を歌ったときには、私は小学生に戻ったみたいにはしゃいだ。

そこから、また夢中で色んな音楽を聞き始めた。
小沢健二の曲は、itunesに入れ直した。巻き戻しをしなくても聞けた。
音楽はぐっと身近に、だけど物凄く遠い存在になっていた。
わたしはもう、2人に憧れることはできないから。

そして、わたしは自分の表現する方法を見つけた。
いちばん最初、広告の道を志したときは「カローラⅡにのって」みたいな
CMをつくってみたいと思っていた。
そういえば、佐藤雅彦さんも好きだった。


そして今日


小沢健二が真っ暗闇で「流星ビバップ」を歌いだした。
私は小学生にしゅるしゅると戻った。
ほんとうに夢のような時間で
10歳の私と、25歳の私が
同じ歌詞を、違うように感じて
でもからだは同じように揺れていた。

メッセージ性の強いライブだった。
まだそのメッセージがすとんと自分の中に落ちずに
胸のあたりを行ったり来たりしている。

彼は何を伝えたかったんだろう。そんなことを考えても
救われるのは自分だけだとわかっている。
深い意味はないのかもしれない。
けれど、頭は考えずにはいられない。

ただ、あの頃の「憧れ」そのままに歌う姿に
大きなパワーをもらって。

さいご、泣き声で「岡崎京子がきています」と小沢健二が言った。

声をあげるのは
岡崎京子のまんがに出てくる女の子みたいになりたかった女の子。
岡崎京子のまんがに出てくるみたいな男の子。

ライブがおわった会場は、解き放たれた感じではなかった。
みんな、それぞれの想いをぽつりぽつりとつぶやきながら、赤い階段を降りて行った。


もう二度と読み返したくないような
支離滅裂な文章だと思います。
めずらしくひとりハイボールを飲んでいます。
でも、今日のこの気分を、なんとなく書き記したかったんです。
今日の自分のために。


素晴らしい時間を
長い長い時間を
どうもありがとう。

信頼関係をつくること。

金曜日は、一年間ずっとお仕事をさせていただいた
お客さんが会社に飲みに来て、どんちゃん騒ぎ。

わけあって、今年は一緒に仕事ができなくなり
そのことを、担当者の方が私以上に悲しんでくれて
話をしていて、じんわりきてしまった。

一年前、社会人二年目になったばかりの私は
この仕事に必要だった日本経済の知識も全然もってなくて
この大きなプロジェクトを回す術も知らなくて
毎日会社に行くのが億劫で、見えない場所を見つけては泣いていた。

この仕事をはじめて二ヶ月くらいたった頃
やっと、担当者の方とまっすぐ話すことができて
さらにその二ヶ月後くらいに、はっきりとした効果を出すことができた。

そこからは、より良いものを作るために
意見をぶつけあって、どうすればもっとよくなるか
必死で考えた。

「よっしーが頑張ってくれるから、この仕事ができている。
 ありがとう」と最初に言われたとき
すっごく嬉しくって、この仕事をやっていてよかったなと思った。
その後に一緒に飲んだビールは、自分史上いちばん
美味しいビールだったように思う。

この仕事をつうじて、私を怒ってくれたたくさんの人。
出会った素晴らしい企業。
そして褒めてくれた方、読んでくれた方。
なにより、だいすきだったお客さん。

感謝の言葉を伝えても伝えきれずに
思わず深夜に日記を書き始めてしまったわけです。


金曜日、お客さんはそのまま家に泊まりに来て
そこからさらに話をした。

日本の未来のこと、採用活動のこと、これからのメディアのこと
恋愛のこと、しもねた、こんな企画をやってみたいという話…

絶対仕事以外では出会うはずのないジャンルの人たち。
仕事はじまりでも、こんなに深く信頼関係を築けるのかと
とても嬉しくなった。

いまだに、良いコピーとか、良いデザインとか
誰もがびっくりするような企画とかは、なかなか難しい。
けれど、自分に仕事を任せてくれている人を喜ばせたい。
その気持ちがあれば、もっと良いものを作るパワーが
湧いて出てくるのではないかと思う。


今年仕事ができなくなってしまったのは
ある些細なミスが原因でとても悲しい。

実力をつけて、また一緒に何かできるようになりたい。
そう強く思った夜でした。

虫歯を見ないふり

今日は歯医者にいきました。なんと3月くらいから、治療途中の歯を放置していたようで
普段はやさしい歯医者さんにちょぴり叱られた後
「ひさしぶりすぎるから新しく詰める歯の料金はもういいよ」と言って
いつもどおり、やさしく治療をしてくれました。

で、そんなに歯を放置する程何をしていたかというと、ほんとうによく働いていました。
一時期は始発で帰って、また朝出勤するのがデフォルトに。
毎日がボロフェスタ3日前です。あの頃体力を培っておいてよかった。

しかしまあ、5月に買ったデジカメの中身を見直してみると
どうやらちゃんと遊んでもいたようです。
働くようになって、人間ってこんなに力いっぱい遊んだり仕事したりできるんだ!
という大きな発見がありました。

東京に来たばかりの頃は、電車の中で本を読む人の多さに驚いたけれど
確かに、家でじっくり本を読むなんて、なかなかできない。

でも、twitterつぶやいたりできるうちは、まだまだ余裕なんだと思います。
そんな余裕を大切にしながら、毎日をがんばっていきたいなあと
麻酔がきれかけて少し痛い歯にむかってビールを流し込みながら、思うのでした。



更新
■ココロザシ勝手に応援団■

http://ouendan.buzzlog.jp/e130239.html

「日本の食文化を魚にもどし鯛!」
フィッシュロックバンド"漁港”のご紹介です。

ブログ移転しました。

おっぺけです。

ブログの更新が途絶えて遂に半年がたってしまいました。

ひいこらひいこら、毎日を過ごしています。

大変なことも多いけれど

やっぱり楽しいことが多くって

これを記録しないのは、もったいないなーと。

花金の深夜に思いつき

勢いでブログをつくることにしました。

日々のあれこれを、好き勝手にメモしていきます。

どうぞ、ごひいきに。



吉村沙織
2009年、夏の終わり。






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世の中に伝える応援団になるのが夢です。
その第一歩がこれ。
「ココロザシ!勝手に応援団」

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福井では両親に育てられ
京都ではSCRAPボロフェスタに育てられました。


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